気まぐれ日記 2017年9月

2017年8月はここ

9月1日(金)「東京から笠間へ・・・の風さん」
 午前6時半起床。キャメロンで出版社の近くまで行く予定である。昨夜、ナビをセットして距離は20kmちょっとだということが分かっている。何もなければ1時間もかからない。とりあえず1時間半と想定し、さらに出版社まで歩く時間など考えて、2時間前に出発することにしていた。
 昨夜の晩御飯がやや遅かったので、朝食は軽く食べる程度にしておいた。
 チェックアウトし、順調に走り出した。……が、すぐに通勤渋滞にはまってしまった。
 甲州街道を走っているときまで渋滞は続き、環状線を走り出すころようやく渋滞から抜け、最後は猛スピードで走り、目的地にしてあったコインパーキングに到着した。予定通りの時刻になった。
 出版社では午前10時から13時ころまで、いくつかの打ち合わせをこなした。すべて目的を達成した。こなしたと書かずに達成したと書いたところに、私の34年間のビジネス経験がにじんでいる。仕事というのは、目的があって、結果を出すためにすることだ。だから、結果を出すためのプロセスを必死で考える。準備に全力をかける。そうしておいて、強い意志で仕事にのぞむのである。
 編集者と3人で近所にランチに出かけた。私はカレーライスを食べたのだが、実に美味かった。
 それから若手編集者を助手席に乗せて、笠間へ向けて出発した。
 首都高速がやけに混んでいて、どんどん時間が経過して行った。
 常磐道に入って最初のSAで、ナビの目的地を最終目的地に変更した。
 時折小雨がぱらつく中、笠間市役所に到着した。私は市長や教育委員会への挨拶が目的だったが、若手編集者は、順調に制作が進んでいる新刊のPRと、講演会当日の販売についてのお願いが主目的だった。
 目的を果たした若手編集者は駅まで送ってもらって東京へ戻ったが、私は、笠間の人たちとの交流を深めるため、次の目的地へ移動した。
 有意義な懇親会を終え、前回と同じホテルに宿泊した。
 今回のロードで初めて、何もせず、いきなりベッドに倒れ込んだ。

9月2日(土)「鹿島灘まで行ったぞ・・・の風さん」
 目標の8時間睡眠を確保できたので、帰りは大丈夫だろうと思った。
 8時にフロントで、届いていたお土産を頂戴し(昨夜の交流で、今朝のことを不思議な表現で暗示させたのだが、その時は意味が分からなかった)、また地元の有力者の方の案内で、某お寺に向かった。10月の新刊にも登場する重要なお寺だったが、まだ訪ねたことがなかった。
 住職さんの話をゆっくりうかがうことができ、原稿に手を入れる必要性を感じた。とても勉強になったので、帰宅したら拙著を送ろうと思った。
 あらためて笠間を出発した。
 これも新刊に登場する鹿島神宮へ向かった。笠間からの距離はそれほどないのに、なぜか予想到着時刻が遅い。
 途中で給油もして走ったのだが、どんどん予想到着時刻は早まって、思った通りの時刻に着いた。始めはナビのエラーだったようだ。
 太古の原生林の中にあるような神社だった。さすが常陸国一之宮である。自然があふれていた江戸時代でも、神秘や神々しさを感じたに違いない。ここも原稿に手を入れる必要性を感じた。
 キャメロンで鹿島灘を見に行った。太平洋上を北上する台風の影響で、荒波が押し寄せていた。風も強く、砂粒が吹き付けてくる。浜に降りることはおろか、クルマから外へ出る気にもならなかった。
 今回のロードの目的をすべて果たし、やっとナビに自宅へ帰るぞと命令した。距離が478kmと出たので、今日中に帰れるかしらん、と不安になった。正午である。
 道の駅いたこでランチにし、すぐ高速道路にのることができた。渋滞さえなければ、キャメロンの独壇場である(笑)。
 首都高も順調に走れた。
 東名にのってすぐ横浜近くで渋滞があったが、最初の休憩地点海老名SAに入った。3日前は大変だった。
 ここで45分間昼寝をしたので、元気が戻った。
 その後の東名は空いていて、駿河SA、浜松SAと2回の休憩だけで、順調に爆走し(笑)、なんと8時に帰宅できた。正午に鹿島灘を出発したときが嘘のようだった。3泊4日、走行距離は1030kmほどだった。
 長女が名古屋から帰省していて、夕食の真っ最中だったが、そこに合流できた。ラッキー。
 今夜は誰よりも先にシャワーを浴びてさっさと就寝した。

9月3日(日)「山のような雑務・・・の風さん」
 ロードから帰宅した翌日とは思えない、いつもの起床だった。
 どこへも行く予定がないので、ひたすら雑務をこなすことにした。
 一番気楽な気まぐれ日記のまとめ書きから始めたが、8月31日まででやめておいた。
 続いて、金曜日に渡したゲラの追加修正に取り組んだ。これは真剣にやったので、時間がかかった。お寺と神社の書き直しはともかくとして、もう一つあった懸案事項は難物だった。しかし、あることがヒントになって、手際の良い修正を加えることができた。
 昼食はお好み焼きだった。
 本を送る手配も今日中に終えなければならないことだった。
 色々と準備して、レターパック3つ分になった。
 その間に、来週の上京スケジュールを決めたり、あちこちへメールを書いたり、けっこうやることがてんこ盛りだった。
 夕食前に1時間ほど昼寝してしまったのは、やはり疲労が出たからだ。
 いつものように名古屋まで長女を送ったが、帰りに長女のところで不要になった電子レンジを引き取ってきた。
 帰宅したのは午前零時ちょっと前だったが、それからしばらくして、30年以上使っていた電子レンジを長女の電子レンジと入れ替えた。
 やることがたくさんあったが、午前1時半で中断し、それからシャワーを浴びて、ベッドに倒れ込んだのは午前2時だった。

9月4日(月)「無理しているのか・・・の風さん」
 また寝不足(私の場合)で起床。いつもより早い時刻の予約だったので、リハビリに向かった。
 先週とうって変わって、空いていた。たまたま前の予約が空いたので、先にリハビリをやり、電気治療は後になった。
 今日の雑務はJPだけだった。昨日用意したレターパックなどを投函し、送金も2件終えて、急いで帰った。
 帰宅し、リビングのソファに座ったら、猛烈な疲労感だった。いつも以上だったかもしれない。
 そのまま2時間昼寝。やれやれ、これは大変なことになってしまった。
 久しぶりにインスタントラーメンを食べ、それからやっと仕事に取り掛かった。今日のメニューは考えてあったが、気まぐれ日記の更新とメール処理だけでかなり時間を食ってしまった。
 着替えて電車で名古屋へ向かった。だいぶ以前に決めてあったJMAとの打ち合わせだった。
 今年から生産技術マネジメント研究会がリニューアルされるので、その打ち合わせをしたのだが、皆、真剣に議論したため、予定していた時間内に終わらなかった。さらに、全体計画を見直す中で、自分から講義を担当することを提案してしまった。困った性格だが、会社の現役時代はこうやって仕事を進めていたのだ。いつまでもタフだった昔の肉体ではないことを自覚しなければならない。やれやれ。
 懇親会も充実した議論をし、帰宅したのは9時半ころだった。
 10時からまた自分の仕事に取り掛かったのだが、限界が近かった。
 結局、あきらめて就寝したのは、午前1時半だった。

9月5日(火)「初顔3人の高校ミニ同級会・・・の風さん」
 睡眠時間をたっぷり確保したかったのに、普通に起きてしまった。しかし、せっかく時間があるのだから、昨日できなかった準備をしっかりやろう。
 と思ったら、またメール処理含めて雑務がどんどん出て来た。
 とにかく午後秋田へ飛ぶのに、旅行の準備も明日のセミナーの準備も完璧にはできていなかった。
 それらを夢中でやっているうちに早正午になってしまった。できれば再来週の講演の準備をもう少しやりたかったのに……。
 昼食抜きで出発する覚悟で階下へおりたら、ワイフがみそおにぎりを2個つくってくれた。ワイフのもらいもののみそだが、手作りでなかなか美味だった。
 セントレアまで送ってもらったが、その時点で出発まで1時間しかなかった。ところが、慣れた秋田行きなので、チェックインと荷物預け、お土産の購入、手荷物検査を終えて、最も遠い待合室に着くまでわずか15分という猛烈なスピードだった。
 出発は5分遅れたが、お気に入りのプロペラ機で、天候も良く、日本の屋根ともいうべき山々の峰や佐渡島、飛島を見ながら、メルヘンチックな杉の森が続く秋田に無事に着いた。
 レンタカーを借りて、ホテルに着いて、荷物の中から今夜の同級会用を選び出して、のんびり外へ出た。
 お城のお堀の蓮がたくさん咲いていてなかなか良い眺めだったが、市の中心部なのに、人の数が少ないので、ちょっと気分が沈んだ。
 今夜はいつものように高校のミニ同級会である。
 川反のお店に入ると、既に一人懐かしい顔が来ていた。
 少しずつ同級生がやってきたのだが、予想よりも多い。初顔一人は認識していたのだが、さらに初顔が二人いて、思わず名刺交換「初めまして」の挨拶。しかし、名刺を眺め、ちょっと話しているうちに3年のときの同級生だったことがわかった(笑)。卒業以来だったので、まるで初対面なのである。
 こうして全員がそろって賑やかな同級会になったが、私は持参の本をじゃんけんで買った順番に選んでもらって贈呈した。予備でもってきた本がなかったら足りなくなるところだったが、新潮選書でカバーできた。
 終わってから、向かいのジャズ喫茶で2次会をやり、最後はホテルまで歩いて帰ったが、初顔3人は強烈だった。これからのお付き合いへの期待感が増した。

9月6日(水)「初顔2人の小学校ミニ同級会・・・の風さん」
 今日は仕事である。秋田から横手まで行かねばならない。しかし、睡眠時間を確保するため、ギリギリまで寝ていた。それで、朝食をゆっくり摂っている余裕がなかった。最後のコーヒーはカップ半分で我慢し、急いでチェックアウトして、レンタカーに目的地を入力して出発した。
 昨年も同じ行動をしているはずなのに、方向を間違え、やや遠回りで秋田市内を出た。
 今にも小雨が降ってきそうな雲行きだった。レンタカーは軽なので、高速に入るとまるでパワー不足だった。やがて、ぽつぽつ降り出した。
 何とか30分前に会場に着いた。
 昨年より受講生がやや少なく、1時間のディスカッションタイムもあるので、今年はゆるやかなペースでやろうと思っていたが、始めてみると、だんだん熱っぽく語るようになってしまった。性分だから仕方ないか。
 昼食は、全国的に有名なB級グルメ、横手焼きそばを食べた。目玉焼きがのっていて、福神漬けが付け合わせになっているのが特徴で、どうってことないけれども、庶民的な組み合わせが絶妙なのだろう。
 講義は自分をさらけ出しながらのものだったが、これができたのは、高校の9年先輩佐々木常夫さんの本のお蔭である。先輩はありがたい。感謝。
 今夜は大仙市泊まりで、小学校のミニ同級会をやる。まだ明るい田園風景の中を横手から大曲へ向けて走った。わずか21kmだったが、さすがに疲労を感じた。
 チェックインし、時間調整をしながら、昨夜と同じように、今夜の準備をしてホテルを出た。
 1次会はすぐ近くだった。
 昨年に続いて、1名、サプライズ参加があった。42歳の後厄同窓会でも会っていたので、22年ぶりだと思う。中一で同クラスで、被服室を利用した教室内でも同じグループだった男だ。同級生の消息に関する話題が多かったが、中一のころに気になっていた女性の話をしたら、友人がすぐケータイで「遊びに来ないか」と電話したので、やばいと思ったが、彼女が孫ができたので、東京にいるから行けないよ、という嬉しい返事だった。
 続いて、お楽しみの2次会となった。昨年のサプライズ、私が小学校で好きだった女性がママさんをしているスナックである。お土産も準備してあるので、ルンルンランラン出かけて行った。
 彼女にも事前に連絡してあったので、待っていてくれたらしい。去年と違い、すんなりと店に溶け込んだ。
 実は彼女のダンナも同級生だった。タイミングよく、店に来てくれて、50年ぶりくらいの再会となった。昨夜の高校の同級生の一人は、小学校でも一緒だったのだが、このダンナと同じクラスだったことが分かったので、覚えているか、と質問したら、覚えているとの回答だった。今度は、高校の同級生にも同じ質問をしてみよう。
 2夜続けて充実した同級会を経験し、解散となった。また11月にも会えるので、気持ち的にも余裕があった。

9月7日(木)「また盛り上がりを見せた中学校ミニ同級会・・・の風さん」
 11月も仕事で大仙市に来る予定がある。せっかく大仙市にいるのだからと、事前打ち合わせを提案していた。
 クルマで10分もかからない場所へ行き、午前10時から打ち合わせをした。
 名目は工場の現場指導だが、私には初めての特徴をもった企業だったので、事前打ち合わせが必要だと思っていた。実際、打ち合わせをしてよかった。現場を見学すれば、山のような改善事項が発見されるだろうが、それらの中の何を指摘し、どのように取り組むべきか助言するのは、相当に難しいと思われた。
 1時間ちょっとの打ち合わせを終え、角館へ向かった。今日からお祭りらしいが、青柳家を見学するのが目的だった。
 途中、道の駅「なかせん」に寄って、杜仲豚どんぶりでランチにし、じゅんさいを買った。
 小雨がぱらつく角館は、お祭りの準備が始まっていた。私にとっては少なくとも3回目である。前回は、母と子どもたちを宿に残して、ワイフと二人で見物に来た。青柳家も見学した1軒である。懐かしさよりも、背の高い木々に囲まれた武家屋敷地帯はなつかしかった。
 駐車場にレンタカーをとめ、すぐ近くの青柳家を訪ねた。過去の記憶はまるで残っていない。
 3000坪の敷地内にある解体新書記念館を見学するのが目的である。たぶん前回も見ているのだろうが、まさかその後、自分が『解体新書』を題材にした小説を書くとは思っていなかった。
 青柳家とつながりのある小田野直武の像があった。野村敏雄先生の文章と舵鮎太さんの絵による解説がずらりと掲示されていた。ここで写真を何枚も撮った。来月のトークセッションで使うつもりである。
 他にもテーマごとに展示館があり、楽しい見学だった。骨董品を展示したところで、矢立を購入した。筆がなく、使用方法も怪しかったので、値段をまけてくれた。
 再び、レンタカーで出発した。次の目的地はにかほ市で、中学校のミニ同級会会場がある。
 途中、道の駅「協和」でおやつタイムし、ケーキセットを食べた。
 その後、クマでも出そうな田舎道を走り、やがて高速道に入り、5時ころ、同級会会場向かいのホテルにチェックインできた。
 ホテルで一人の同級生と合流し、コーヒーを飲みながら時間調整をし、まもなく会場へ向かった。
 ここで、6時から零時までとんでもなく楽しくにぎやかな同級会が展開された。基本的に気の合った連中が集まっているのだろうが、還暦同窓会をスタートに今年で4年目、まるで転校生のようだった私がようやくなじんだということだろう。
 さすがに同級会3日目で、私はかなり疲れていたが、また同級生の人生についての発見が多く、疲労をこえて感動が多かった。学校時代の状況からはその後の人生は簡単に想像できないということだ。特に、学校時代、私から見て目立たないと思い込んでいた子たちが、実は、人間として立派に成長し、良い60代を迎えているということだ。そこまでの苦労はもちろんあっただろうが、現在の姿に、その影はまったく見られない。
 そうしてみると、今のうちの3人の子どもたちも、これから30年、40年と経過するうちに、それぞれの人生をまっとうし、同級生らと楽しく語り合えるのではないかと思えてくる。今を心配している親の想像をこえて、である。ならば、心配な子どもたちばかりだが、そっと見守っていてやればいいと思えてくる。ただ、もしかすると、そうなっている姿を予想できないうちに、こちらがお陀仏してしまうかもしれないのだが。
 午前零時過ぎに、友達をホテルへ戻った。
 明日は早いので、午前1時までに就寝した。

9月8日(金)「秋田土産・・・の風さん」
 6時起床、7時チェックアウト。高速道路を使って秋田空港までひた走り。8時のGS開店に並んで一番で給油。レンタカーを返却し、空港まで送ってもらった。
 ANAでチェックインと荷物預けをし、予定のお土産を高速購入。喫茶室でサンドイッチとコーヒーでやっと朝食。実は、この後の方が大変だった。友達からもらったお土産がたくさんあって、手荷物がハンパでなかったのだ。何度も入れ替えて、機内持ち込み手荷物を2つにしたが、メインはか弱い女性が持ち上げられないほどの重量になった(笑)。
 その手荷物をもって、検査を受け、搭乗待合室に入った。かつて二度、ここで持ち物を1つ忘れて、職員に取りに行ってもらった恥ずかしい経験があった。今回は大丈夫。そう言えば、ここしばらくボケが減っている。ひどいときは、毎日カウントしていて、朝から夜まで、ボケ1、ボケ2……と増えていた。最近はそれがない。もしかすると気付かなくなっているのか、数を数えることもできなくなったのか。
 秋田で行動中は天気はあまり好くなかったが、往復の空では快晴だった。今日も眼下が真っ白な雲の合間に鮮明に見える。しかし、疲労でうとうとしていた。
 無事セントレアに着いたが、ワイフの都合が悪く、出迎えなし。重い荷物は、このままタクシーで帰ろうかと思ったほどだった。しかし、私のような身分でタクシーで帰るなんてあり得ないことだ。最近はバスも運行がなくなっているので、電車で帰るしかなかった。途中で1回乗り換えて、1100円だったから、いかに僻地に住んでいるか想像できるだろう。
 最寄りの駅から自宅まで、重い荷物を抱えて歩くのは拷問に近かった。しかし、秋田での楽しい経験からすれば、おつりがどっさり出るのだからと、ひーひー言いながら坂道をのぼった。坂道をのぼるのが得意の私でも、途中で1回休む必要があった。息が上がっていた。
 帰宅したのは正午を回っていた。
 窓を開けて、着替えをし、洗濯物を優先的に出してから、てきぱきと片付けを始めたが、気の遠くなる作業だった。しかし、ワイフの食卓の上にお土産を積み上げるのは楽しかった。
 旅行中は毎日3回食事をしていたせいか、空腹を感じたので、インスタントラーメンでお昼にしたところで、もう限界だった。リビングのソファでダウン。
 夕方足音で目が覚めると、ワイフが帰宅していた。すぐ近くに置いてあったiPhoneにメッセージが何度も入っていたが、気が付かず、駅まで迎えに行けなかったので、ひどく機嫌が悪そうだった。夢のような秋田から帰宅して、現実にひきもどされた気分だった。
 ワイフは口数少なく、買い物に出かけて行った。
 私は2時間程度昼寝したはずだが、疲労は十分とれていなかった。それでも、頑張ってソファから起き上がり、ワイフの機嫌をとるため、洗濯物の取り込みをしておいた。
 やがてワイフが買い物から帰ってきた。私はおとなしく片付け物の続きなどをしていたが、とりあえずお土産の解説を始めたら、すぐにワイフの機嫌が戻った。ともだちがワイフにと、(あるいはワイフが喜びそうなものを選んで)たくさんお土産をくれたからだ。
 お蔭で、晩ご飯は、空港で買った雪の茅舎(秋田の日本酒)を開けて、秋田の土産話で盛り上がった。いつかまたワイフを連れて秋田へ行きたいが、3泊4日のスケジュールではちょっと計画を立てるのが大変だな。
 昼寝して元気が戻った私だったが、雑務は少しだけ片付けることにして、今夜は早めに就寝した。

9月9日(土)「昼寝と草刈り・・・の風さん」
 昨日は仕事をしなかったので、さあ今日から仕事だ〜、と普通に起床したが、どうも疲労がとれていないようだった。
 久しぶりに出版される「大衆文芸」に掲載されるエッセイの初校ゲラが届いていたので、著者校正をした。PDFで読み取って出版社へメール添付で送った。12月の講演に間に合うといいのだが。
 秋田の友人と久しぶりに電話で話ができたので、11月に行くとき会えるかもしれない。往復の航空券をおさえるタイミングなので、時刻表をチェックし、乗る飛行機を決めた。
 昼食後、書斎で横になったらそのまま寝てしまった。
 5時近かったが、やっと元気が出たので、思い切って裏の土地の草刈りに出動した。気になってしようがない。
 この決断は褒められてもよいだろうが、準備を少し油断した。作業を終えて屋内に入ると、ワイフから「あなた顔中蚊に刺されてでこぼこよ」と言われた。顔だけじゃない。油断した首もそうだし、日焼け防止の腕袋の上からもかなり刺されていた。すぐに洗ってキンカンを塗ったが、痒いこと痒いこと。
 コーヒータイムにして秋田の金萬を食べ、気分を一新し、書斎へ出撃した。
 本当に仕事を開始したのは、夕食後だった。ビジネス本の原稿で、あとわずかだが、他の用事もあってなかなか完成させられないでいる。来週、上京して打ち合わせる約束なので、それができる分だけはやらねばならない。
 結局、午前1時まで頑張って、就寝は午前2時。昼寝したので、褒められた話ではない。

9月10日(日)「ビジネス本の原稿が予定通り・・・の風さん」
 昨夜再開したビジネス本の執筆にある程度方向性が見えたので、一気に書き上げることにした。
 こうなると男は安心して集中力が出る(あれもこれも心配しているとダメで、一点突破が男の特徴である)。
 とは言っても、完成度を求めて理想を追求しているとスピードを失うので、書けるところから書いていく。
 だいたいできたところで、雑務にも取り掛かった。昨日予約した11月の航空券は早割なので、今日中に購入手続きが必要だった。関係者の感触もつかめたので、購入した。同じ3泊4日でも朝出発、夕帰着である。活動時間は長くなるが、レンタカー代は増えるだろう。
 夕方になって、また草刈りに出動した。これも気になっている案件で、昨日の1日だけでは心は軽くならない。昨日の反省で、首に手ぬぐいを巻き、ポロシャツを1枚上に重ね着し、虫ペールをあちこちに噴霧した。顔にもだ。
 気持ちよく刈れた、かと思いきや、虫ペールを噴霧したはずの腕袋の上からまた刺された(笑)。痒い。
 夕食後、だいたいできたビジネス本の原稿を再チェックしながら読んでみたら、ひどい出来(笑)。しかし、再読してよかった。それらをまともな文章に修正し、さらに、今回はパスしようとしていたチェックリストのアイデアが幸運にも浮かんだので、いくつかサンプルを書いてみた。
 完成した原稿や資料を、メール添付して送信完了したのは、午前1時過ぎだった。

9月11日(月)「またダウン・・・の風さん」
 朝から薄曇り。しかし、雨は降りそうもない。庭のウッドデッキが腐ってきたので、やっと修理に職人さんが来てくれた。
 簡単な打ち合わせをして、私はウィークリーのリハビリへ。なかなか改善されないので、最近PTの施術はきつくなってきた。
 近くのホームセンターに寄って、自分の買い物をした。それからいつもと少し違うコースでGSへ向かい、キャメロンの満タン給油をした。
 帰りにコンビニで職人さんの休憩用の飲み物を購入して帰宅した。
 インスタントラーメンでランチにし、1時間だけ仮眠したあと、職人さんにお茶出しをし、少し雑談した。デッキの修理があと何日かかるか尋ねたが、歯切れが悪かった。小説家としてはその裏の事情が読めるのだが、ここには書かない。
 もう寝ている余裕はなかった。雑務を少ししたところで、相変わらず薄曇りなので、3日連続の草刈りに出動した。
 今日も完璧な身ごしらえで臨んだが、また腕袋の上から蚊に刺された。虫ペールを昨日よりたくさん噴霧したつもりだったが、こいつには効かないのか。
 終わってしばらくして、職人さんが帰るので見送った。明日は雨が予想されていて、そのための準備をして帰って行った。明日は工事は中断だろう。
 ワイフがまだ帰宅しそうもなかったので、すばやく hairdye をすることにし、待ち時間の間に、科学者倫理の e-learning のために、テキストの勉強を始めたのだが、これがなかなかの分量で重い。しかし、ケーススタディになっているところが興味深かったので、まじめに取り組んだ。結局、ワイフが帰宅するまでに半分も読了できなかった。やばいぞ、おい。タイムリミットがあるからな。
 夕食後、もう限界だった。書斎で少しだけ仮眠するつもりが、目が覚めたらもう午前1時だったので、今日は閉店にすることにした。

9月12日(火)「来週の講演の準備・・・の風さん」
 雷鳴が聞こえて目覚めた。今日は天気が悪そうだ。職人さんはお休みだろう。
 今日は懸案の来週の講演のレジュメを完成させる予定である。
 その前に、先ず雑務の処理から始めた。雑務で大変なのはメール処理である。コミュニケーションをきちんととっていかないと、仕事がスムーズにいかないことは会社の現役時代から痛いほど経験している。加えてち密な性格でもあるので(仕事に関してのみ)、このメールのやりとりは慎重になる。
 そうこうしている間に、午前中に宅配便が2回来た。どちらも、出版社からのゲラである。1日に2つもゲラが届くなんて、まるで売れっ子作家みたいだ。しかしこれは、たまたまの巡り合わせである。
 また今日も昼にインスタントラーメンを食べ(最近余ったご飯がないので、卵かけご飯の昼食がめっきり減っている)、ひと休みしてから、いよいよ講演のレジュメ作成に取り掛かった。
 昼過ぎには雨は上がったが、裏の土地を見ると、草が生えていない部分がぬかるんでいる。そこに草を生えさせるのが狙いだったが、うまくいかない。
 今回のレジュメは、事務局から講演スライドそのものでもよいということだったので、講演スライドそのものの検討に着手した。今日まであれこれと悩んでいて、全体構成が決められないでいたが、1時間の講演ということもあり、話や資料を少なくして、和算について知ってもらうことを最大のテーマにすることにした。それにより、ようやく作業が始められた。
 結局、作業が終了し、印刷用のデータにして送付を完了したのは、午前1時だった。長い時間がかかったように見えるかもしれないが、こんなに短時間で講演スライドの原案やレジュメができたことはついぞない。
 明日は、届いたゲラの校正である。

9月13日(水)「手強いゲラ校正・・・の風さん」
 普通に起床。窓の外を見ると、実のなっていない柿の木がずいぶんと伸びている。幹を途中から切断しても空を目指して枝葉が伸びる。生命力はすごい。
 今日の天気は好さそうだ。頑張って仕事をしなければ。
 朝食後、児童書の再校ゲラの著者校正に取り掛かった。ダイニングのテーブルがゲラを広げやすくていい。
 自分の書いた文章なので、読むのは早い。それでも、約200ページあるので、時間はそこそこかかる。終わったのは午後1時だった。
 今日も昼食にインスタントラーメンを食べてから書斎へ。
 雑務をこなしているうちにまた眠くなった。これが今の私のというか、老人の宿命か。また仮眠。
 夕方目覚めたら、また重要な雑務を思い出した。科学者倫理の e-learning の続きだ。
 テキストの勉強の3日目になるが、夕食前に完了できなかった。今日は、ここまでにして、残りは明日の帰りの新幹線車中に決めた。
 やっともう一つのゲラの校正に取り掛かった。ビジネス書である。
 やはり思ったとおり手強い。午後11時過ぎまで頑張ったが、とても無理。明日の行きの新幹線車中で続きをやることに決定。
 明日の上京の準備をして、いつも通り、いい加減にシャワーを浴びて、就寝したのは午前1時過ぎになってしまった。

9月14日(木)「e-learning をやっと完了・・・の風さん」
 最寄りの駅を8時21分に出る電車に乗った。実は、これに乗ることがとても多い。名古屋まで睡眠不足を補おうとしたが、たいして眠れなかった。
 いつものようにパンとコーヒーを買って、新幹線に乗車した。
 やろうとしていたことはたくさんあったが、どうにも頭が重い。頭痛に近い。決断して、頭痛薬を飲んだ。じきに効いてきた。たまにしか飲まないので、よく効くのだろう。
 昨夜の続きの、ビジネス本のゲラ校正に取り掛かった。本当は寝不足なのだろうが、頭痛薬の効果はてきめんで、仕事が進んだ。ただし、途中まで。
 富士山が見える座席だったが、頂上付近は雲がかかっていた。
 メールチェックまでできた。大急ぎでパンを食べて、東京駅で下車した。
 午後の前半はビジネス本の打ち合わせだった。住居地はもう秋の気配がただよっているし、先週は秋田へ行っていたので、東京の暑さが不思議な気がした。
 2時間の打ち合わせはあっという間だった。今後の方向付けがなされたが、超高速で本の制作が進められることに変わりはない。初めての経験だが、チャレンジに値すると思った。頑張らねば。
 品川への移動はけっこう時間がかかった。
 後半は、来月の終わりに出版を目指している児童書の打ち合わせだ。再校ゲラを著者校正してきたので、編集者の校正と突き合わせた。悩む箇所はほとんどなく、作業はスムーズに進んだ。良い本ができそうだという実感がわいてきた。それで、決心して、かねて約束していた覚書を署名して部長に渡した。今は、前を向いて進んでいくつもりだ。
 品川駅でゆっくり買い物をして(またパンを買った)、そろそろ混み合う時間帯の新幹線に乗車した。今日は往復とも車中で作業を予定していたので、こだまのグリーンである。
 幸い頭痛薬の効果はまだ続いていて、予定していた e-learning のテキストの勉強を終えることができた。帰宅したら、一気に e-learning を終える予定だ。何の e-learning かというと、科学者倫理である。なかなか難しい内容だが、初めての内容が多くて面白く勉強できた。しかし、その勉強だけに月曜からどれだけの時間をかけたかは、とても他人に言えない。色々な意味で私の個性だろう。
 まだ時間があったので、今朝の続きというか、ビジネス本の著者校正の続きをやった。これもなかなか手強い。晩ご飯は車中でおにぎり2個。
 帰宅したのは午後10時半ころだった。
 それから、やっと e-learning に取り掛かった。修了証の提出締め切りは明日15日で、明日は明日で用事があるから、もう何が何でも今夜中にやらねばならない。
 確認テストをしながらすべて完了したのは、午前2時だった。テストは全問正解だった。テキストでの事前の勉強がなければ、こうはいかなかったろう。

9月15日(金)「パネルディスカッション第1回打ち合わせ・・・の風さん」
 表庭のウッドデッキの修理工事が進んでいる。完成すれば、それで10年間は心配ないだろうし、途中で塗装をすれば、さらに10年くらいはいけると思う。
 午前中に雑務をこなし、昼食も摂らずに外出した。
 先ず、行きつけの床屋に行った。午後1時から、防犯キャンペーンで警察官が来るのと、その様子を地元にケーブルテレビが取材して録画するという話だった。
 行くと、確かに警察官が来ていた。私が椅子にすわったところで、満席となり、店内はにぎやかだった。マスターはヤンキー風に身ごしらえをしていて、テレビに出る気満々だった。ところが、待てど暮らせど、ケーブルテレビが来ない。何の連絡もない。
 いつのまにか、客は私一人だけになってしまった。
 近所のバーの開店祝いでもらったカステラを食べさせてもらって、私も店を後にした。店にとっては、拍子抜けした事件だった。
 その後、これも行きつけの大型家電量販店へ行き、リビングの切れた蛍光灯を買ったりした。ついでに、リブサンドを食べた。
 それからまた、某駅まで行ってキャメロンを置き、電車で名古屋まで向かった。
 11月にパネルディスカッションがあり、私は講演とコーディネーターを頼まれていた。その打ち合わせで出かけたのだが、事務局から主旨を聞くと、非常に責任の重い仕事だということが分かった。最初に頼まれたときに辞退した方がよかったかもしれない。しかし、これも私の個性だろう、チャレンジという価値が、この仕事をする最大の動機となった。
 とてもお世話になっている団体からの依頼で、打ち合わせは非常に盛り上がった。これからも何度か調整しながら、当日のパネルディスカッションを作り上げていかねばならない。
 帰宅し、インスタントラーメンで晩御飯にした(笑)。ワイフは友達と飲み会である。
 さすがに疲れて、今夜はメールチェックぐらいしかできなかった。

9月16日(土)「終日雨の中雑務に取り組む・・・の風さん」
 台風の影響で雨が降っている。上陸してくるのは明日以降だが、その先発隊みたいなものだ。ウッドデッキの塗装が途中で、ワイフが心配している。
 先送りしてきた雑務がたまりにたまっているので、朝からコツコツと片付けに取り掛かった。
 午前中にできたのは、名刺や寄贈書の整理、郵送の準備ぐらいだが、かなりのボリュームだった。
 午後に入ってからは、これからの旅行の未手配分や昨日までに決めなければならなかった講演タイトルなどだった。
 夕方、ワイフのアクアに給油がてらちょっと買い物に行ったが、ゆっくりしている余裕もなく帰ってきた。
 出さなければならないメールもかなりあって、一つ一つ考えて出した。今日から3連休なので、返信がすぐ来ないだろうという安心感もあった。
 夕食後も雑務処理を続けた。少しでも身軽に(心も体も)なっておかないと、年末までのハードスケジュールはこなせない。その思いだけで頑張ったのだが、重たい雑務がまだ残っている。明日の課題だが、台風も接近しているし、半年前にドタキャンしたケース発表会もあるので、油断はできない。ちょっと油断していると、裏の土地の雑草のように、いつのまにか(雑務が)ジャングルになってしまう。

9月17日(日)「ケース発表会で感動・・・の風さん」
 大きな台風18号が九州に上陸し、日本列島を縦断しそうな動きである。住居地で猛烈な風雨になるのは、早くても夕方以降だと思われた。
 とにかく予定通り、途中からになるが、ケース発表会に行こうと思った。
 出発する前に、一つでも仕事を終えておかねばならない。これも数日遅れになっている、セミナーの請求書作成に取り組んだ。既にセミナーは終了しているので、事後処置ではある。昨年の例があるので、うまく作成できた。これがITの便利なところで、再利用性の高さである。
 それが精一杯で、バタバタと準備してキャメロンで出発した。途中駅から電車で行く、いつものパターンである。昼食はヌキ。
 11本の発表のうち6本を聴講できた。勉強になる発表ばかりというか、そもそもこういったビジネス関係に興味があるから仕方ないか。その中に、すばらしい発表があり、感動した。特に、その人の生き方に共鳴したのだ。過去の歴史の中から素晴らしい人生を発掘して小説にするのが私の仕事だが、現在もそういった生き方をしている人を知ることは貴重だ。現在だけでなく、未来も明るくなる。
 かつての同級生も10人近く来ていて、懐かしいというか、あの頃の熱気がよみがえってくる。50代になって5年間社会人学生をやったのだが、ちょっとした青春時代だったのだ。
 台風襲来を予想して懇親会がなかったので、早めに帰宅しようと外へ出たが、まだ雨は降っていなかった。
 地下鉄と電車を乗り継いで、途中駅で降りた。
 ホームセンターとドラッグストアに寄って7時過ぎに帰宅したら、外出中だったワイフが閉め出されていた。私が外出しないと思って、鍵を持たずに出かけていたのだ。コミュニケーションのまずさだった。
 夕食後、風雨が激しくなった。家の作りはしっかりしているが、それでもピューピューと風の音が聞こえてくる。
 もうひと仕事、と思って書斎に入り、某 Website にアクセスしたら、メンテナンス中なのか、操作できなかった。
 今夜は諦めてさっさと寝ることにした。ひどく疲れていた。

9月18日(月)「やれどもやれども終わらぬ仕事・・・の風さん」
 台風一過の晴れた朝だ。昔から連休とは無縁だったが、退社してから天候とも縁が薄くなった。
 たまっている仕事を少しでも片付けなければ……。
 木曜日の講演の準備をした。MacBookAirにデータを入れて、正常に動作するように調整した(同じパワーポイントでも、Windowsとは違ってしまう部分がある)。それをやりながら、不足している名刺の印刷をした。
 昼食後、日曜日の午前の講演の準備を始めた。これは木曜日の講演をベースにして、聴衆に合わせればいい。どちらも難しい話はできない。ただし、ポイントは変える必要があった。
 睡眠不足でもないのに、夕方からまた昼寝してしまったのは、体力不足が原因だろう。
 目覚めてから続きをやって、だいたいできた。
 夕食後は、気になっていたメールをいくつか出し、来週から始まる後期の非常勤講義のスケジュール表を作り、最後にビジネス本の表紙のイラスト案を作成して出版社へ送った。
 また、就寝が午前2時になってしまった。やれやれ。

9月19日(火)「今日も昨日の続き・・・の風さん」
 名古屋へ出かけるワイフを駅まで送って行ったので、睡眠不足で1日がスタートした。
 ウッドデッキの工事も、今日が最終日になるので、もう職人さんが来ている。
 早々とクロネコが荷物を2個届けてきた。
 職人さんに、午前休憩のお茶出しをしてから、週一のリハビリに出発した。
 いつ完治するか分からなくなっている五十肩をいじめてもらった(笑)。帰りにホームセンターに寄り、山越えで帰宅(JAの用事は行きに済ませていた)。
 家に着くと、職人さんが仕上げの塗装をしながら「昼で完了するよ」と言った。台風の襲来があって少し遅れた工事も、とうとう終わる。
 ラーメンを食べて横になっていたら、職人さんが帰り支度を始めたので、外へ出てお礼の言葉をかけた。
 ゆうパックが荷物を2個持ってきたので受け取った。
 睡眠不足による頭痛が治らないので、頭痛薬を飲んでまた横になった。
 夕方、ふらふらと起き上がった。リハビリの後はいつもこうだが、寝不足もあって、今日はきつかった。
 だらだらと雑務をこなしながら、だんだん意識がハッキリしてきた。頭痛もなくなっている。
 またクロネコが荷物が1個運んできた。今日は、これで宅配の合計が5個になった。
 留守番の任務が終わったころ、ようやく仕事に取り掛かることができた。日曜日の午後の講演の準備である。
 外が暗くなり、ワイフを迎えに駅まで行った。
 夕食後、講演の準備の続きをやりながら、ビジネス本の修正にも手を付けた。できれば、来週の非常勤講義の準備の続きをやりたかったが、時間切れとなった。
 シャワーを浴びてベッドに倒れ込んだが、眠ってしまった間に、久々にキッチンでゴキが出たそうだ(翌朝の報告から)。

9月20日(水)「明日のことから11月のことまで・・・の風さん」
 11月に秋田へ行くとき、ちょっとした面白い企画を思い付いた。高校の同級生からの提案というか画策がそもそもの発端で、それなら鳴海風らしく受けて立とうじゃないか、ということで、アイデアが浮かんだのだ。
 ただし、それが実現するためには、協力者の了解が必要だった。しかも、2か所である。
 今日のお昼過ぎまでに、協力者の了解が得られたので、このアイデアは実行へ向けて大きく動き出すことになった。
 うまく行けば、11月の秋田の旅で日記に書かれることになるが、そのための準備は2か月近い前からされていたということになる。乞うご期待。
 24日午後の講演の準備がなかなかやっかいで、夕方までかかってしまった。
 途中で、 hairdye をしたり裏の土地の草刈りをしたりもしたので、なかなか忙しかった面もある。
 その後、来週の非常勤講義のための予習を少しした。勉強は楽しい。しかし、学生に教えるとなると、ひと工夫、いやふた工夫ぐらい必要である。
 夕食後、明日の大阪での講演の最終準備をした。起きてすぐ出発するので、朝、何もしなくていいように準備した。

9月21日(木)「大坂堂島米会所近くで講演・・・の風さん」
 遠くへ出かけるときに最もよく利用する時刻発の電車で出発した。
 自分としては最善の準備をしたので、意気揚々と行けるはずだが、今朝の血圧はやけに高く、緊張していることが分かった。
 名古屋で新幹線に乗り換えた。平日のこういう時間帯はビジネスパーソンがいっぱいである。着ていくものが乏しい風さんは、スーツ姿なので、この群衆の中にうまく紛れ込んでいるだろう。
 新大阪でおりて、地下鉄御堂筋線に乗り換えた。使っている電子切符はICOCAである(笑)。
 何度も来ている大阪なので、そろそろ東京くらいに地理が分かってもいいはずだが、まだその精神的な余裕がない。
 江戸時代を彷彿とさせる橋を2つ渡った。
 目的地は、江戸時代に堂島米会所があった近くである。取材でないのに、そういった場所に来られたことはうれしい。
 会場は結婚披露宴のような趣きで準備されていた。実際、クラシックの生演奏がされる中、フランス料理の昼食を全員で摂り、それが終わるころから私の講演となった。
 講演時間は1時間とやや短かったが、内容の濃いパフォーマンスを心がけた。
 毎週のようにやっている講演会で、私の講演は異色だったようだ。やや時間オーバーしたのも問題があったろう。反応はイマイチだった気がする。
 タクシーで新大阪駅まで送ってもらった。これは想定外だったので、駅でゆっくりして帰りの新幹線に乗ることにした。
 帰宅したのは5時半過ぎだった。
 恒例になっているぶたまんのお土産で夕食にした。ビールを飲んだので、疲労が一気に出た。今夜は早めに寝ることにした。

9月22日(金)「明後日の2講演の準備が続く・・・の風さん」
 雨雲レーダーをチェックすると、四国から西に巨大な雨雲がこちらへ向かって広がっていることが分かった。遅くとも午後1時過ぎには雨になりそうだった。
 そんなわけで、朝から雑務をこなしていたのだが、体もだるいし、イマイチ気合も入らないので、草刈りに出動した。
 バッテリがなくなるまでの草刈りなので、私のように限界をこえてしまう性格の人には合っている(笑)。
 今年はザクロがたくさん実をつけていて、虫に食われて落ちているのもあった。
 蚊にも刺されず、たいして汗もかかずに終了できた。
 少し早めにラーメンで昼食を終え、明後日の午前の講演のレジュメの準備を先に仕上げた。ほぼ完成。
 昼寝ほどの休養はしなかったが、少し体を休めてから、明後日の午後の講演のレジュメの準備を開始した。
 気持ち的には、夕食までにだいたい終えたかった。しかし、レジュメの前に講演資料そのものがまだできていないので、そちらの作成の続きをしなければならなかった。これがけっこう大変な作業だった。何しろ初めてのテーマ(に近かった)からだ。
 夕食後もその作業は続き、だいたいの講演スライドを作成し終わり、その中から12枚を抜粋してレジュメではなく配布資料として完成し、事務局へ送付し終えたのは午前1時半ころだった。やれやれ。しかし、講演資料のリファインは明日も続く。

9月23日(土)「明日の準備はタイムリミットを決めて・・・の風さん」
 毎年ちゃんとヒガンバナが咲きだす、今日は秋分の日。これから夜の方が長くなっていくのかと思うと、ちょっと憂鬱ではある。
 午前中に明日の歴史講座の準備を完了した。木曜日の講演のデータが流用できたので、楽だった。
 また本を販売するつもりなので、何冊かサイン本を用意した。
 昼食後、例によって体を横たえて休養。1時間ほど寝てしまった。
 目覚めてからは、明日の午後のビジネス初級講座の準備。仮眠している間に、またアイデアがひらめいたので、少しスライドを作成した。その代わり、イントロ部分を減らした。
 夕食前までに準備したもので明日は講演すると決めていたので、そのようにした。こういうものは際限がないのだ。
 夕食後は、来週の非常勤講義の準備の続きを少しした。こちらも新しいアイデアがひらめいたので、もう少しスライドを増やす必要がある。
 しかし、明日は早起きをするので、午後11時で閉店にした。この続きは明日だ。
 午前零時、就寝。

9月24日(日)「キャメロンが19万キロを突破・・・の風さん」
 6時起床。7時10分、キャメロンで出発。体調はまずまずだし、天気も秋晴れで、先行きは明るそうだった。
 袋井市のメロープラザでの講演は3年連続になる。ルートも慣れている。
 旧東名を走って行くのだが、新東名があっても岡崎あたりから混雑している。片側二車線に戻されたからだ。
 いつものように浜名湖SAでゆっくり休憩した。休日なので、駐車場にクルマが多い。その中には、遊び車も多く、私のキャメロンもそういった仲間だろう。
 現地には予定通り、9時半に到着した。
 今日は、午前が鳴海風として歴史講座を、午後が本名でビジネス初級講座を、それぞれ2時間おこなうことになっていた。自称マルチサイエンスライターらしい組合せで、一度はやってみたかった。
 歴史講座は大阪での講演をベースに、休憩をはさんでゆっくりとやった。おかげで、持参した課題図書5冊がすべて売れた。
 昼食は、事務局と関係者の4人で教室で摂ったが、日本の高齢化社会の文化レベルの高さを感じるものだった。
 ビジネス初級講座は、品質管理の話で、昨年来ずっと勉強を続けてきたものだ。セミナーでも講義しているが、11月には著書も出す予定である。こちらも、休憩をはさんでゆっくりとやらせてもらった。途中にクイズをいくつか入れて変化ももたせた。
 1日に2回の講演をこなした割に、終了後も元気で、明るいうちにキャメロンのハンドルを握ることができた。
 これまたいつも通り、浜名湖SAで休憩がてらお土産を買い、夕闇せまる高速道を快走した。高速道から有料道路に乗り換えたころ、キャメロンの積算距離計が19万キロをこえた。目標の20万キロまであと1万キロを切ったことになる。
 住居地が近くなり、なじみのGSで給油と洗車をおこなった。
 夕食後は、また非常勤講義の準備の続きをやった。頑張ったが、まだ終わらない。

9月25日(月)「長時間昼寝・・・の風さん」
 現役時代なら、また会社の仕事が始まる月曜日だ。もともと1年365日、休みなくあれこれやってきたので、月曜日がブルーだったことはない。
 それなのに、今は、逆に月曜日を意識することが多い。今まで以上に1年365日がシームレスになっていて、現役時代の方がまだマシだったという感覚があるのだろう。
 例によって午前中に雑務を片付けてしまおうと書斎に出撃したのだが、これがなかなか終わらない。
 あっという間に昼になってしまった。
 インスタントラーメンを作って食べたら、猛烈に疲労感に襲われたので、ベッドに横になったのが百年目、夕方まで寝てしまった。
 それからようやく明後日の非常勤講義の準備の続きに着手して、何とか終えることができた。
 夕食は、山形で買ってきた肉蕎麦だった。名物ということだったが、実にうまい蕎麦で、コシがある。ついていた鶏肉の出汁も絶品だった。
 それからやっとビジネス書に取り掛かることができた。久しぶりだった。最後のチェックシートが未完成だったので、これをクイズ形式に変更してとにかく第1稿レベルにした。午前2時になっていたが、昼寝していたので、眠くはなかった。

9月26日(火)「ビジネス書で難航・・・の風さん」
 いつもより1時間遅く起床。今日は昼寝している余裕はないぞ。天気は好いが、草刈りもできないぞ。
 朝食後、雑務を簡単に終えて、ビジネス書の初校ゲラの校正に取り掛かった。初校ゲラとは言っても、第1稿がそのままゲラになっているので、修正か所はべらぼうにある。元々の原稿の完成度が低いためだ。
 幸い、会社の大先輩から貴重なアドバイスをいただいているので、それを参考にして修正することもできる。が、実は、それが一番問題で、本質的な間違いを指摘されているため、性根をすえて修正しなければならないのだ。
 午前中に目標地点までまったく到達できなかった。
 昼食を卵かけご飯で10分で終えて、また作業に復帰した。
 いつもなら、ここでしばらく昼寝してしまうのだが、今日は、それは厳禁だった。
 結局、午前中の目標地点に到達したのは、夕食前で、その時点でもう疲れ果てていた。
 夕食後もむろん頑張ったが、明後日の出版社との打ち合わせが赤信号になった。

9月27日(水)「講義から打ち合わせへ・・・の風さん」
 いつもより1時間早く起床。名古屋へ出かけるワイフを駅まで送った。
 今日から後期の非常勤講義が始まる。リハビリと同様に、毎週そのためにある時間を投入しなければならない。ピンチがさらにピンチになる。
 とりあえず雑務をこなしてから、キャメロンで出発した。
 途中駅近くにキャメロンを置いて、そこからは電車である。さらに地下鉄に乗り換えて、本山に着いた。
 先ず、銀行のATMで振り込み処理をした。ウッドデッキの代金である。
 それから、近くの食堂でランチを食べた。安い店だが、システムが変更されていて、店内のサービスがいなくなっていた。
 前期の講義を受講してくれた学生がけっこういて、後期も大変そうである。
 今日は、しっかり準備した資料に基づいて、充実した講義をすることができた。講演と同じである。
 終わってすぐ地下鉄に飛び乗り、名古屋の経済産業局へ向かった。11月の講演とパネルディスカッションの打ち合わせである。
 約1時間半の打ち合わせで、パネルディスカッションのテーマ「産学官連携」の課題がますます明瞭になった。長い間克服できない難しいテーマなので、とてもパネルディスカッションで良い結論など導けるわけがない。しかし、コーディネーター役の私は、何らかの結論へ誘導して、パネルディスカッションを終わらせなければならない。
 夕闇がせまり、雨がぽつぽつ降り出して来た。
 金山駅で、ワイフとうまく合流できた。
 キャメロンを置いた途中駅近くで、夕食を摂ってから帰宅したが、かなり疲労していた。
 しばらく横になったが、元気は出ない。
 月末で切れるポイントが2つあることに気付き、とりあえず今夜はそれを消費するところまでで、早めに就寝することにした。

9月28日(木)「名古屋で出版社と打ち合わせ・・・の風さん」
 午前中はビジネス書の校正の続きをやった。目標ラインまでなかなか到達しないうちに、時間がきたので、荷物をまとめてキャメロンで出かけた。午後、ビジネス書の出版社の編集部長と、名古屋のゲイトタワーの三省堂書店で打ち合わせがあるのだ。
 幸い昨日からの雨も上がってきた。
 途中、コンビニでパンだけ買った。和菓子屋で部長へのお土産も買った。
 いつもように途中駅にキャメロンを置き(その間にパンを食べ)、電車で名古屋へ向かった。
 部長と合流する前に、参考図書を探していたら、見事に2冊発見できた。購入した。けっこう高額だったが、来年の大人向けの小説の執筆には必要な本だ。
 ブックカフェに入り、部長と打ち合わせた。校正済みのゲラは第1章だけなので、それを渡し、今後の校正の仕方について、確認をした。
 あとは、様々な情報交換をたくさんおこない、自分の課題解決に役立てようと思った。
 来た時と逆のコースで帰宅した。
 いつもこうなのだが、夕方の遅い時間にティータイムをし、夕食前に少し仕事をした。
 夕食後は、疲労が出て、なるべく創造的でない仕事とか、頭脳を使わない仕事とかをしようと、あれこれ試みたが、そもそもそんな仕事はほとんどなく、それならいっそ早く寝てしまおうと思った(笑)。
 しかし、午後、部長へ私がゲラの中で修正した図表だけは、データをメール添付で送っておいた。

9月29日(金)「2週間分の非常勤講義の準備完了・・・の風さん」
 朝から雲一つない青空が広がっている。いよいよ本格的な秋の訪れか。
 5か月に1度の整形外来(リハビリ継続の処方を受けるため)を受診するので、早めに家を出発した。
 気候が好いと体調を悪くする人も減るのか、患者が普段に比べて少ない。意外と早く診察の順番が回って来て、リハビリの予約時間内で病院を出ることができた。
 ホームセンターで買い物をしてから帰宅した。
 例によって、昼食後、猛烈に眠くなったので、ベッドに横になったのが百年目、夕方まで寝てしまった。
 午前中にANAのポイントでゲットした品物も届いたので、ちょっと気分が良くなり、非常勤講義の準備に取り掛かった。2週間分を準備できれば、来週末は乗り切れそうな気がしていた。
 夕食後は昼寝の効果もあって、元気が出てきた。
 そのまま午前零時も平気でやり過ごして、午前3時に2週間分の準備が完了した。時間をかけ過ぎかもしれないが、これが私の実力なのだ。

9月30日(土)「著者校正がピンチ・・・の風さん」
 午前4時に就寝し、9時に起床した。
 ビジネス本の初校ゲラの校正がピンチなので、7日のトークの流れをメモした後、他の雑務を中止して、真っ先に取り掛かった。
 著者校正をやりながらも、色々な用事を同時並行でやっている。
 中でも11月のパネルディスカッションは頭の痛い課題だ。専門分野の中とは言え、知識が著しく乏しいからだ。
 しかし、27日の打ち合わせで、アメリカはどうなっているのか、という意見が出て、誰もまともに答えられなかった。これが私にとって幸いした。私には名商大ビジネススクールの尊敬する先生がたくさんいる。相談できるからだ。昨夜のうちに3人の先生へ相談メールをお送りしたのだが、次々に返信が届いて、その内容というか提供された情報に圧倒された。これなら勉強が間に合いそうだと思った。
 夕方まで校正作業は質的に順調に進んだが、このペースでは量的に目標に到達するのが難しいと思われた。
 その間に、2週間後の地元での講演に関して、事務局と打ち合わせをしようと提案したら、なんと自宅療養中だった。講演会には間に合わないが、復帰したら私の課題図書お祝い会をやりたいと書いてあったが、それどころではない。心配である。
 夕食後、著者校正の覚悟を決めた。今夜中に、何が何でも第2章を終了させ、明日の昼までに宅配で出版社へ送るのだ。

2017年10月はここ

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